エベレスト下山中に栗城さん死亡。登山ライターが予言した無謀な挑戦


この記事は私がまとめました

misukiruさん

◆栗城史多さんエベレストで死亡

2018年5月に8度目となるエベレスト登山を敢行したが、途中で体調を崩して登頂を断念。下山中の同月21日にキャンプ2近くで死亡

登山としても、冒険共有事業としても、やっていることがあまりにも支離滅裂で、アンコントロール状態にしか見えなかったのだ。

「死ぬ気でやれよ、死なないから」という名言とされている言葉があるが、それを実行した栗城史多というひとは死んでしまった。

◆登山ライターの忠告

このまま栗城さんが北壁や西稜にトライを続けて、ルート核心部の8000m以上に本当に突っ込んでしまったら、99.999%死にます。

栗城さんがやろうとしている「エベレスト西稜~ホーンバインクーロワール無酸素単独」というのは、完全にメジャーリーグの課題です。

日本のプロ野球に成功できなかったのに、ここ数年はなぜか課題のレベルをさらに上げ、執拗にトライを重ねている。

◆チャレンジを続けた末に死亡

2018年5月21日 – 8度目のエベレスト単独登山中に体調を崩し標高7400m付近より下山。キャンプ2付近にいた撮影隊がルートを登って捜索したところ、死亡している栗城の遺体を発見した。35歳没。

*インタビューを聞いただけで、彼の人の良さそうな、優しそうな雰囲気が伝わってきます。

目標ルートは、北壁より難しいとされる、エベレスト最難関の南西壁にまでグレードアップしていた。南西壁という言葉が出てきたときは、いよいよ混迷は極まったと感じた。

◆周囲に殺されたのか?

栗城史多さんは周りに担がれて、実力も無いのに無謀な事をしてしまった。栗城さんは山で死んだのではない。周りに殺された。亡くなってからも稼ぎ続ける薄汚い奴らが周りに居るんだろうな。ご冥福をお祈りします。

亡くなられた栗城史多さんの件、教訓的に見るならば、登山事故としての側面よりも、行き場を失った若者がまるで特攻隊のような無茶を繰り返し、それを一部の大人達が讃え、当人は死に場所を求めるようにより困難なステージを選んでいった事故としての側面の方が重要であるかのように思える。

◆ツィッターで飛び交う意見

おどろいたことに「栗城史多」はネット上でけちょんけちょんにされていた。曰く、あいつはインチキだ、フェイクだワック下山家だ、と。

栗城史多の死に関わる何が問題かって、彼の死を美談の様に扱い彼を絶対的善として扱い批判を許さない事で、登山を含めて命懸け要素の強い物事をライトに考えて死の行列に加わる馬鹿が一定数いるという事だよ。
その『馬鹿』の中には経験値の低い子供若者も含まれるんだよ、現実を教えないと駄目だろ。

栗城史多さんの講演を二三年前に聴いた事がある。凍傷で指を無くした経緯を記事で読み、なぜそんな事を?と思ったが、直接話を聴いてみると不思議な魅力がある人で応援したい気持ちになる人が出てくるのも理解ができた。SNSで発信できる時代であった事も彼の命を縮めてしまった一因ではないかと思う

栗城史多 私は彼に大いなる愛情を感じる
彼は自らを以て失敗を演じ多くの夢見る敗者たちの目を覚まし
人生の過酷さを示した尊い方である

私は彼を評価します

登山家・栗城史多さん。キングコング西野さんの「サーカス」に出演してました。「挑戦を否定するな」「自分の山を登ろう」という言葉は単純に心に刺さった。否定なんて子供でもできる。大事なのは行動すること。合掌。

栗城史多さんの訃報知った。僕もある意味「無謀な冒険をやる人」なので、「彼と自分との分かれ道」みたいなものについて考えてる。個人的には自然相手の冒険にメディアや企業スポンサー(そして多数の観客)付けるのは、プロジェクトのリスクを上げるだけと思っていて、ずっと避けてきた。

栗城史多さんの挑戦はかねてから無謀と批判されていた。
商業上の理由でバリエーションルートでの単独無酸素という無謀な計画を掲げ、それが彼を死に追いやった一因であるならば、周囲の責任は重いと思う。
専門家は警告してきたのに、どうしてスポンサーやメディアは彼を止めなかったのだろうか。