"全チーム"からオファーがあった逸材
当時の帝京は、ユース日本代表の経験者が集まったエリート軍団で、3年生にも全国レベルの選手は多かったのだが、チーム全体が礒貝をエースとして認めている
【帝京高校で一緒だったある選手は…】
「化け物だと思いましたね。初めて一緒になった時は衝撃でした。次元が違って、大人かと思った。」
大怪我を負ってしまい、両足に人工靭帯を入れる手術を受ける。そのため、Jリーグ開幕をピッチで迎えることは出来なかった
その後復活し、天才的なプレーを見せるもチームは年々低迷。モチベーションを失い、29歳の若さで引退。
「監督の意にそぐわなかったので使われない日々が続いた。無理やりサッカーを続けるよりも、自分の人生を生きたいと思った。足も負傷していたし、サッカーを十分楽しめたという思いもあった」
(さらには、)大工の見習いや、医療関連コンサルタントの仕事もしている
「子どもたちにサッカーも教えています。でもね、人生の前半は、サッカーの神様に愛されて、後半は好きなことがやれている」と話している
中田英寿「あの才能には敵わない」
アフロ
財前宣之/Nobuyuki Zaizen (Yomiuri),
FEBRUARY 1995 – Football : A portrait of Nobuyuki Zaizen of Yomiuri Nippon FC (Verdy Youth) before the Viareggio International Youth Tournament match in Italy.
(… by 写真:Enrico Calderoni/アフロスポーツ
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中田英寿/Hidetoshi Nakata, APRIL 23, 2010 – Football : FIFA WORLD TROPHY TOUR by Coca-Cola, The FIFA World Cup trophy is displayed during a Arrival ceremony at Haneda Airport, (Photo by AFLO SPORT) [1… by 写真:アフロスポーツ
あの中田氏が「僕らの年代では一番うまい選手」と絶賛するほどの人物。
1993年に日本で開催されたU-17W杯で、背番号10を着用してプレー
93年のU-17世界選手権では、ベストイレブンにも選ばれるほどの実力者
【伝説その1】
中学入学と同時に受けた読売ユース(※1)の入団テストでは、『ボールを持ちキープした瞬間、合格(※2)』
※1.ヴェルディの下部組織。
※2.ボールを持った瞬間に合格をもらったという意味。
【伝説その2】
全国からユース代表の練習にやってくる選手たちに、財前は手本を見せる。その様子を、中田や松田は体育座りして真剣に観ていた
靭帯断裂というケガに見舞われたため、トップチームに登録されず。結局、公式戦に1度も出場しないまま退団を余儀なくされた
この時の大ケガが、輝かしいキャリアを送るはずだった財前に影を落とす。
その後も度重なるケガで苦しみ、靭帯断裂を計3度経験。怪我を何度もを乗り越え、山形や仙台で奮闘するも結果が出せずに、35歳で現役を引退
今は仙台市内でサッカースクールを開校。「俺のような失敗をさせたくない」そんな思いで、子どもたちの指導にあたっている
「天才司令塔」と評判でしたが…