3月13日 イオンモール札幌発寒でテナント従業員の新型コロナ感染が判明
札幌市西区の大型商業施設「イオンモール札幌発寒」で
3月13日夕方、テナント従業員1人が
新型コロナウイルスに感染したことが分かりました。
発寒イオン 消毒作業で緊急閉店
そら、あれだけお客さんも来るから
誰が感染しててもおかしくないよ。
慌てて変な行動取らないようにね。
人のせいにしたらダメよ。
#発寒イオン#発寒イオンコロナ pic.twitter.com/D0BLgXcZOu
発寒イオンでトレンド入りしてたのかー
自宅マンション斜向かいにつき良く行くお店でコロナとは
本当に身近すぎる
てか、1週間前からずっと喉痛い
良くも悪くもならない
熱は無いけど
これって
もしやコロ…? pic.twitter.com/GUBzO7hTE9
ポケモン界隈ではハッサムと同じと大盛り上がり
私「発するって字と寒いでなんて読むの?はっかん?」
けーさん「はっかん?じゃない?」
私「地名だよね」
けーさん「あ、地名の方ね。はっさむ」
私「ハッサム!?」 twitter.com/soww9nkdjpqrde… pic.twitter.com/ziTB8Mq85B
発寒の地名はアイヌ語由来
安政4年(1857)年、山岡精次郎・大竹慎十郎・永田休蔵ら
幕府旗本の武士20人とその従者が、発寒に移住してきました。
彼らは、稲荷通沿い辺りに入地し、
農作物を栽培しながら発寒の開拓に当たりました。
その後、明治9年(1876年)、
琴似屯田兵村の分村として発寒にも
32戸の屯田兵村ができたことにより、
人口の増加が進みました。
しかし、明治37年(1904年)の
屯田兵制度の廃止に伴って、
兵役が満期となった屯田兵の多くが、
開墾地として他に支給された給与地へ
移転してしまうこととなります。
大正9年(1920年)には、発寒小学校前踏切から、
新川間約2.6キロが琴似町道になりました。
そして昭和30年(1955年)に札幌市との合併で
市道となったとき、踏切から南側を加え
現在の延長約3.7キロ、
幅員5.45~20メートルの道路となりました。
馬車がぬかるむ悪路も、明治以来の排水路も
昭和42年(1967年)以降進められてきた
歩車道の整備のおかげで近代的になり、
沿線の街並みも変わっていきました。
「発寒」が読めない事がネットで話題に
イオンって付くからまた何か怪しげな科学的なものかと思った