え〜意外…「調子に乗ってた」時代があった芸能人は多いみたい


芸能人と言えば世間から高い注目を集める職業

芸能人や歌手などは“人気商売”と呼ばれ、ファンなくしては成立しない特殊な職業です

芸能人の方って、収入が沢山あって豪華な暮らしをしているイメージがありますよね

▼そんな世界だけに「調子に乗ってた」時代があった芸能人は多いみたい

内山信二

玩具店に行って陳列棚のおもちゃを一列“大人買い”するなど、一度に30万円近く使ったこともあるという内山さん

「僕が子役の時は今と全然違う。ギャラは青天井でしたから。バブルのピークで打ち合わせも焼肉か寿司じゃないと話さないって言ってました。給料は手渡しで、小4で新宿の事務所まで取りに行って、札束を数えてましたから」

当時、28、9歳くらいだったマネージャーとうなぎを食べに行ったエピソードを聞かせてくれた。「『うなぎ食べたことある?』『オレが食べさせてやるよ』と(連れて行った)。今考えたら本当にクズ」

櫻井翔

当時の櫻井は、「みんな同じようなのがつまんねえなー」と斜に構えていたという

金髪にしたり、カラーコンタクトやヘソピアスをして、ド派手なジャージ姿で仕事現場に来ることもあった

当時のKAT-TUNのイメージは、カッコよくセクシーで、ワイルドな“オラオラ系”だった。そんなちょっと不良っぽい雰囲気の彼らが、口をそろえて櫻井をカリスマと呼ぶ

振付師の先生にも嫌われており、仲間のJr.たちがふざけていても、櫻井だけ“おまえ、ムカつくんだよ!”と怒鳴られていたほど

髭男爵 ひぐち君

2008年 爆笑レッドカーペットなどで一躍大ブレイクをはたした髭男爵

彼は“芸能人が住むに相応しい”と考えていた代官山のマンションに引っ越した

値札など見ること無く高級家電を買いまくり、ベッドもダブルサイズを購入。なんとその日に買った家電と家具の総額は200万円に上ったのである

オリエンタルラジオ 中田敦彦

現場マネージャーの数が多いことや、楽屋の弁当の種類が多くてもほかを見ていないため、それを特別のことと受け止めていなかったという

若手芸人としては破格の映画1本を撮れるほどの予算が投じられた。1年間重ねた会議にはベテラン作家20人が集い、中田は持ちかけられたアイデアを「違うな」などと判定

天狗時代はコンビ仲も悪く、度々本気で殴り合っていたそうで、中田は、「上手くいっている時は自分のお陰、うまくいかない時は相方のせいにしていた」

住谷杏奈

杏奈がプロデュースしたせっけんは初日に6000個売れるなど爆発的にヒットし、数週間後には1000万円が振り込まれるという展開になった