▼若者の代弁者的存在
18歳でデビューしてから亡くなるまでの9年間で71曲の楽曲を残し、シングル・アルバムの累計売上枚数は1000万枚超え、「10代の教祖」「若者のカリスマ」と呼ばれた。
1992年4月25日に肺水腫のため急死してしまう。それでも人気は衰えず、彼の死から約2年後に「OH MY LITTLE GIRL」がミリオンセラーを記録。
代表曲「15の夜」はどのようにして誕生したのか・・・
「15の夜」は、尾崎さんの友人が髪を短くして検査に臨んだ時に先生に髪を切られた事で大人への不信感を募らせた時の体験をもとに作られていた。
当初は『無免許で』というタイトルが予定されていた。須藤氏は「無免許でバイクを乗り回して、酒を飲んでみたいな。僕はこの詞ではダメと言ったんです。つまり、『大人はこの詞のどこに共感したらいいんだ?』って」とダメ出ししたという。
須藤さんは尾崎さんに「15の夜」の歌詞について、バイクを盗んだだけでなく、心理状態も書き加える事をアドバイスしていた。
尾崎さんのバンドでドラムを担当していた吉浦芳一氏は、「19、20歳の年齢になって、『15の夜』をいつまでも歌うのは歌いづらいと言っていた」と本人が葛藤してたことを明かした。
された時の 15の夜 盗んだバイクで走り出す~
この15の夜 本当は
無免許で と言うタイトルに
なっていましたね
無免許でバイク乗ってお酒を飲んでみたいな~と 言う歌詞
だったんですね が 尾崎 豊さんのプロデューサーの
須藤 晃氏 が 最近 尾崎 豊さんの 創作ノートに書いた
▼モデル、歌手として活躍
2004年に1stシングル「Level42」でメジャーデビューする。
代表曲「リルラ・リルハ」について・・・
「リルラ リルハ」は、聴いた瞬間に「これです!」って。当時のマネージャーさんはもっとポップなものをすすめたけれど、「いや、アイゴンさんの曲がいい」って。
曲名である「リルラ リルハ」の由来は本人曰く「メロディーロードを鼻歌でデモテープに録音、再生した際その様に聞こえた」との事。
寝る時間が全然無いほど忙しく、自分を取り戻す時間がなかった時にできた歌だが、この曲で自分を信じてやれば大丈夫だと自信がついたと語っている。
▼自身の音楽活動以外にも楽曲提供も数多く行う
数多くのヒット曲を持ち、2006年には『NHK紅白歌合戦』にも出場。