子供には勉強よりも帝王学を徹底。アパ社長の考え方が参考になる


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■アパグループ

アパグループ株式会社(APA Group)は、アパホテルなどを傘下とする、都市開発、建設業を中心とした会社。本

アパホテルなどを傘下とする、都市開発、建設業を中心とした会社。本社は東京都港区赤坂、本店は石川県金沢市。

アパホテル(APA HOTEL)とは、全国展開を行っているビジネスホテルである。

■そのグループのうち、アパホテルの社長が「元谷芙美子」

マンション事業は、グループ代表である元谷外志雄が代表を兼ね[4]、ホテル事業は妻の元谷芙美子が社長を務める

元谷 芙美子(もとや ふみこ、1947年7月8日 – )は、日本の実業家。アパホテル社長。歌手としても活動。旧姓・西川。 ニックネームはアパ社長

「お客様に最高のもてなしを」というテーマです。あゆみいる人にやすらぎと、去りゆく人に幸せを願って、客室の枕元にそっと置かれた手折りの折り鶴も、故郷の家に帰ったかのようなぬくもりを伝える「花ごころ」。

■その元谷社長の子供の育て方が凄かった

2人のお子さんに恵まれ、母としても立派に家庭を支えてきた元谷芙美子さん。

「勉強なんかするな」と言って2人の息子を育てました。勉強はできて当然、習ったことができないなんておかしい。

先見力、洞察力、決断力――いろんなものが備わらないと「帝王学」は成り立たない。私は息子たちを、1度も子ども扱いしたことはありません。小さな頃から大人の論理で、人間としての生き方を教えてきました

■お金持ちなのにお金には厳しい

非常にお金に厳しい会社で、社員に対する支払いも、外部に対する支払いもホントに厳しいので有名

1円たりとも無駄遣いや贅沢をさせたことはありません。学生時代の仕送りはぎりぎりの生活費で5万円くらい。たくさんアルバイトして大変だったと思います

長男が学生時代に買った車は、15万円のボロボロのカリーナ。埼玉の山奥の解体業者みたいなところから買って、乗って帰るときに首都高で止まっちゃって、直しながらなんとか帰ってきた

お金の大切さを徹底的に教え込んだということです。

■このような子育てを行う元谷芙美子社長はどのような人物なのか?

福井市生まれの芙美子さんは小さいころから口が達者で、表舞台に立つのが好きだった。

高校時代は親の病気で東京への大学進学を諦め、地元の信用金庫に就職した。それが、結果として今の幸せな結婚につながった

1971年、夫が起業した信金開発株式会社(現アパ株式会社)に入社。1994年、アパホテル株式会社取締役社長に就任。

■そこから会社は急拡大

「おまえ、社長やれ。おまえにはその才能がある」夫からそういわれ、ホテル事業の立て直しを託された芙美子さん。持ち前の営業手腕で3年後に東京進出を果たす

「私が社長です」のキャッチコピー、派手な帽子とミニスカートレディーススーツの“正装”風の姿、メディアへの大量露出で有名社長となる

自らが広告塔となり、赤字すれすれだったホテル事業を今では収益率世界一のホテルにまで成長させている。