あゆからモー娘。まで…20周年を迎えるアーティストが輝いている!


この記事は私がまとめました

アラサーおっさんなので感慨深すぎる…青春時代を思い出しますね…!

critical_phyさん

奇跡が起きたぞ…モー娘。20周年がすごいことになっていた!!

「モーニング娘。’18」が28日、名古屋市内で「ハロー!プロジェクト」全国ツアーの愛知公演に出演し、初期メンバーの中澤裕子(44)、石黒彩(39)、飯田圭織(36)、安倍なつみ(36)、福田明日香(33)の5人が祝福に駆けつけた。

5人にとって名古屋は思い出の場所だ。97年11月、インディーズシングル「愛の種」の手売りキャンペーンで、メジャーデビューの条件となる目標の5万枚を売り切った地。

モーニング娘。20年の歩みが日本の芸能界に与えた功績ははかり知れず、まさに“全盛期”だけでは語れない。今後もその絶対的なブランド力とクオリティで女性アイドル業界に“革新”を起こし続けていくことを切に願いたい。

歌姫は今も進化し続けている…浜崎あゆみさんのアリーナツアーが注目を集めている!

1993年から芸能活動を開始して、モデルや女優として活躍。1998年4月8日に発売した『poker face』で、ソロ歌手としてデビュー。

1999年1月発売のデビューアルバム『A Song for ××』が約150万枚を売り上げて歌手としてブレイクを果たすと女子中高生を中心に彼女のファッションやメイクを真似する若者たちが増え、マスコミなどから「女子高生のカリスマ」と呼ばれるようになった。

ジャケット写真を利用した白あゆ/黒あゆ戦略や「vogue」「Far away」「SEASONS」の絶望3部作のリリースが次々と話題となり、絶望3部作が収録された3rdアルバム『Duty』(2000年)はJ-POP史に残る名盤中の名盤。

歌手の浜崎あゆみがアリーナツアーを開催することを公式HPで発表した。浜崎のデビュー20周年を記念したもので、4月7日のさいたまスーパーアリーナを皮切りに7月22日の大阪城ホールまで11公演を行う。

最近は楽曲よりも、チケットの売れ行きに関心が集まる浜崎だが、21日には自身のSNSに「どう見られているかなんて重要じゃないよ。大切なのは、どう在りたいか」と投稿。

ツアーが決定したいまの段階では厳しい見方をするひとが多いが、ツアー開始とともに「やっぱりあゆは凄かった!」という噂が広まってほしいと思う。

こんな声も…

60公演にも及ぶツアーを経たマインドに改めて刻まれた音楽の力、その想いをツアータイトルに再度掲げてスタートする20年目の真意をしっかりと見届けて欲しい。

あゆのアリーナツアー発表〜〜⊂((・x・))⊃

これは絶対行きたい(●´ω`●)

これは伝説になる…Dragon Ashの20周年が詰まったライブが早くも映像化決定!

ロック、パンク、ヒップホップ、エレクトロニカ、ラテン、レゲエなど、様々なジャンルの音楽を取り入れた6人組のバンド。

1998年「陽はまたのぼるくりかえす」が注目を浴び、当時まだ浸透していなかったヒップホップを世間に知らしめるなど、日本の音楽シーンに大きな影響を与え、大ブレイク。

常にオルタナティヴな道を自ら選びながらも、圧倒的なファンの支持を得続ける日本の音楽シーンを代表する怪物バンド。又、バンドの司令塔であるKjは音楽はもとより、ライフスタイルからファッションに至まで絶大な影響力を誇る。

Dragon Ash が1月28日、デビュー20周年を締めくくるメモリアルなライブとして横浜アリーナ公演『Dragonash Live Tour MAJESTIC Final』を開催した。

昨年6月から半年以上かけて、全国各地のライブハウスやホールで熱演を繰り広げてきた彼ら。昨日は1999年10月以来18年3カ月ぶりに横浜アリーナで単独公演を行い、2時間半にわたってパフォーマンスを届けた。

3月28日(水)にリリースが決まったBlu-ray & DVD作品『Live Tour MAJESTIC Final at YOKOHAMA ARENA』では、同ライヴをオリジナル編集の上、完全収録!最新アルバムからはもちろんのこと、往年の人気曲まで幅広く加えた、まさにベスト選曲。

DragonAshはやっぱり凄いバンドだね。
2時間以上やったと思うんだけど、ホントにあっという間の出来事のように感じる素晴らしいライブだったなー。

これは嬉しすぎる…Kiroroが20周年で本格的に再始動するぞ!

Kiroroは、1998年にデビューして以来、「国民的アーティスト」として活躍していた。だが2001年、ボーカル・玉城千春が声帯結節を患い、活動を休止。半年後に復帰するも、納得できる歌が一向に歌えなかったそうだ。

その後も復帰と活動休止を繰り返していました…

1995年結成。高校時代放課後の音楽室でVo.千春がオリジナル曲をアカペラで歌っていたところに、Piano綾乃が伴奏をつけて遊んでいたのが結成のきっかけ。