“映像の魔術師”「大林宣彦」監督映画5選


◆がん闘病中を告白した大林監督

唐津市で映画「花筐(はなかたみ)」を撮影した大林宣彦監督(79)が3日、地元関係者向けの試写会に臨み、昨年8月のクランクイン直前に肺がんで余命半年の宣告を受けていたと明かした。

2017年6月

撮影開始の前日、肺がんがステージ4まで進行していて「余命半年」、撮影を敢行すると、3日後に「余命3カ月」との診断が下された。

現在も、がんは寛解したわけではなく、治療は続いているというが、恭子氏は「医学の進歩のおかげで、お薬が効き、奇跡が起きました」と大林監督の体調が劇的に回復していることを報告。抗がん剤とともに、別の新たな治療も始めたという。

恭子氏=大林恭子。大林監督の妻でプロデューサー。

◆日本の映像界に多大な影響を与えた「映像の魔術師」

<映像の魔術師>とも称される、日本を代表する映画監督。

一九三八年、広島県尾道市生まれ。映画作家。故郷で撮影した「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」は"尾道三部作"として知られている。

テレビコマーシャルの草創期に多くのCMを手がけ、その数は2000本を超える。

助監督経験なし、自主映画出身、CMディレクター出身という、その当時の映画界では、ありえなかったスタイルで、新たな流れを生み出し、その後の大森一樹、森田芳光、CM出身者として市川準などが生まれるきっかけとなったといっても過言ではない。

大ヒット作『時をかける少女』(1983)、『ねらわれた学園』(1981)で原田知世、薬師丸ひろ子をアイドルとしてブレイクさせ、後年の日本映画に多大な影響を与えた。

◆そんな大林監督の映画5選

▼『転校生』(1982)

監督:大林宣彦
脚本:剣持亘
原作:山中恒『おれがあいつであいつがおれで』
出演:尾美としのり、小林聡美

“男の子と女の子の体が入れ替わってしまった”思春期の中学生の男女を描いた青春映画。

一字違いの幼なじみ・斉藤一夫と一美は、石段から転げ落ちたことで、人格が入れ替わってしまう。二人はそのことを秘密にしつつ、なんとか元に戻ろうと努力するが……。

大林宣彦の故郷でもある尾道を舞台に、シチュエーション・コメディの要素を含みつつノスタルジックな青春ドラマに仕上げている。

ふたりが入れ替わるまでをモノクロで、入れ替わってからはカラーで描き分け、また8ミリ映像も効果的に挿入しながら、古き良き町・尾道を魅力的に活写。

当時まだ無名の小林聡美と尾美としのりのコンビで描いた低予算映画だったなりが、年を重ねるごとにジワジワと評価を高め、今では日本映画の名作のひとつとして、広く知られた作品。

主演ふたりの初々しく弾けた好演も忘れられない、日本映画史上に残る大傑作であると断言したい。以後も大林監督は、尾道を舞台に数多くの話題作を撮り続け、それらは「尾道シリーズ」と称され今なお映画ファンに親しまれ続けている。

#映画で印象に残っている猫

『転校生』

小林聡美が転校してきた日の下校時、彼女を尾行する尾美としのりが、通りがかりにいたネコをなでる。尾美か大林監督のアドリブだと思うが、好きなアドリブ。あと、尾道ってやっぱりそんなに簡単にネコ… twitter.com/i/web/status/8…

@ut_ken 「さびしんぼう」以前の作品「転校生」の撮影中に「こんなみすぼらしいとこを撮らんでくれ」と、大林監督にお願いだか抗議だかを行政のエライサンがしに来た
というエピソードは監督が語っておられましたね
goo.gl/1iAy15

学生時代、日本映画暗黒時代真っただ中希望の星はディレクターズカンパニーと大林宜彦監督だった。大林監督の転校生は中学時代何回も観に行った。大学時代は転校生含めた尾道三部作、そして角川映画。大林監督は大柄で新入りスタッフは最後まで飲み会に付き合わねばダメとうほど体育会ノリの人だった。

▼『時をかける少女』(1983)

監督:大林宣彦
脚本:剣持亘
原作:筒井康隆
出演:原田知世、高柳良一、尾美としのり

筒井康隆の名作SF小説を、「転校生」の大林宣彦監督が映画化した青春ファンタジー。

高校生の芳山和子はある日、同じ情景を何度も体験していることに気付く。彼女はタイムトラベラーになってしまったのだ。やがてその能力は、かつて理科実験室でかいだラベンダーの香りに秘密があることが判明するが……。