みんなが報告する「家族にいる個性派過ぎる人」の話がおもしろい


私たちにとって大切な家族の存在

「家族とは何か」・・・それは、人にとって永遠のテーマではないかと思います。

子供たちはそんな両親の愛を一心に受け、すくすくと成長していきます。このように、家族はいつも助け合う存在であり、誰かが倒れた時は誰かが補うといった役割を果たします

▼そんな家族には時に「個性派過ぎる人」がいることもあるみたい

趣味の幅が広い

ただ、私にとっての父は、お抹茶を立てて、お饅頭を頬張り、盆栽を育てて、毎日墨を擦っては筆で日記をしたためる浮世離れした変人だったよ。

50年以上前にペーパー門松見てひとり爆笑してたとか、私や弟をオリジナルの一発ギャグで笑わせてたりとか、祖父は無口で変わった人だったけど、洒落の分かる面白い人だった。私が生まれる前の話だけど、新聞に川柳投稿して掲載されたりもしてたらしい。

時代を先取りしてる

母に聞いたところ、ヴィンテージのバーバリー、祖父がイギリスで直接買ってきたものらしい。60年代に。
祖父、変わった人で、ふらっと勝手に海外に行ってしばらく帰ってこないとかしてた人なのだそうだが、英語も喋れないのにどうやって買ってきたのか謎とのこと。
いずれにしても、大事に着よう。

父「お母さんは昔から変だったんだ、好きな男性のタイプをシャア・アズナブルって答えてたんだ、今は好きなタイプ2次元っていう人結構いるけど昭和では相当変人だったぞ」
母「何がいけないのよ!?悔しかったらシャアを超えてみなさいよ!」

亡き曾祖母(明治生まれ)も祖父(昭和2年生まれ)も、コーヒーとトーストと甘いもの(特にパンとカステラ)が大好きな、一風変わった人たちだった品…

発想が独特

亡き父はうちにレコードプレイヤーなんてものはないにも関わらず時折レコードを買ってくる変人だったが、こんなものまで買っていたことに死後知って腹抱えて笑った pic.twitter.com/cmgml4rtuN

わたしの父は家にあるスプーン片っ端から曲げようとしたりする変人だった。「ちかちゃん」の名前入り金スプーンを曲げようとした時はさすがに泣いた。

祖父は哲学者でした。私の手の震えも酒で治そうとしたり、シャボン玉にタバコの煙いれてくれたり、まぁ普通に変わった人で、絵が天才で、クラシックが好きで、握力めちゃくちゃあって、最後私を忘れた。「あんたいい女だね、素晴らしい発想力だ。」って口説いてきた。一生忘れられない男の人。

うちの父も変わった人。一人暮らししてたときはつまんないからって浴室のライトに能面を付けて間接照明のようにしてたらしい。
ぼやぁ~っと。

んで、お客さんが来る度に悲鳴を聞くのが好きだったそうな。楽しそうで何より

同居してない方の祖父は酒飲みでちょっと変わった人だった 泊まりに行ったら食卓の真ん中に「38度線」が引いてあった 祖母と喧嘩した時にペンで書いたらしい もう死んじゃったけどテーブルは残ってます

食べ方が個性的

祖父は変わった人で、晩飯で頼んだラーメンを半分残し伸びきってやわやわになるまで翌朝まで待って食べるのが好きだったらしい。適当にその感覚を継いで、僕は二日目のカレーを温めないで食べるのが好き。

豪快だな…おい

小学生の頃、祖父に北海道へ二人旅に連れて行ってもらったが、冬休みでもなんでもなく、祖父の都合で普っ通〜の平日に1週間も学校休ませて連れていくという驚きの旅。祖父はそういう豪快っつーか変わった人だった。その後成績がえらい事になったが、僕はそれを取り返す意欲に満ちた子供でもなかった。

母に聞いた話 祖父 わたしにとってははかたのおじいちゃんは 変わった人だった 一年中山の中の炭小屋で暮らしたという 電気もガスも水道もない だが おじいさんは平気で暮らしていたそうな  そんな爺さんが山の中で唯一驚いた事がある

すごい…経営者になった